レモンスライムのきもち

心を言葉に正しく変換する能力がほしいですね。

感情は時とともに

私はしばしば日記を書いています。毎日ではなく、書きたいことがある時だけ書いています。

 

過去の写真は、見るだけで当時のことを心に呼び覚ましてくれます。こんなことがあったなあという記憶や、あの頃は楽しかったなあという感情がよみがえります。しかし、当時感じていた楽しさがよみがえることはありません。本当に楽しかったということは覚えていても、心すべてで味わっていた楽しさを再度実感はできません。

 

ご馳走と似ていますね。

私は佐賀牛や神戸牛の焼肉を食べた時、なんて美味しいんだと感動しました。今もその感動は覚えていますが、その感動を再度呼び起こすことはできません。近い感情を味わうには、当時一緒に食べた人と再度食べて「そう!これこれ!」と思うしかありません。

 

私は、「どこで誰と何をしたか」よりも「その時どう感じたか」が人生において重要だと感じています。なぜなら、感じ方こそがその人の心の表れですし、また感じ方ひとつで人生は楽しくも辛くもなるからです。

だから、その時味わった感情を可能な限りそのままに記録したいなって考え、日記を書いています。日記を読み返しても感情の再体験はできませんが、当時の感情は写真を見るよりもずっとよく理解できます。

 

このブログを始めた時期は、ずっと心に眠らせていた「結婚したかった彼女」のことを思い出したタイミングだったので、当時の日記を読み返して、ああ自分すごい辛かったんだなって思い出しました。リアル感情としてはよみがえりませんが、すごい辛い思いをしていた自分の様子は思い出しました。

 

ところが、色々思い出して、

「ずっと連絡が取れないけど元気なんだろうか、死んじゃったりしていないだろうか?」

と心配になった時に、不意に当時の辛さがリアル感情としてよみがえりました。フラッシュバックと分類されるんですかね。心配だとか、やっぱりあの時別れを食い止めたかったとかを考えているうちに、ふと

「あっ、今感じてる胸の痛みは当時のものと匹敵してる」

と感じました。

 

その感情を言葉で表すと、悲しさ・怒り・悔しさ・後悔などで心が痛んでゲロを吐きそうになるとでも表現しましょうか。怒りの分量は他に比べればわずかですが、それらが絶妙なハーモニーで心をぐちゃぐちゃにしてきます。「心という粘土」を多方向から色々押しつぶしたり、ぐちゃって握ったりしてくるイメージです。

 

感情は時とともに風化するので忘れていましたが、当時の私は確かにこんな感情を毎日味わっていました。

「よくこんな中頑張って生きていたわ」と思うくらい、不快な感情でした。

 

もし写真だけしか残っていなかったら、きっとこの感情をよみがえらせることはなかったでしょう。全然嬉しくない感情ですが、よみがえったこと自体は嬉しいです。当時の辛さをほぼそのまま思い出せたことで、今のありがたさが身に沁みます。日記を書いていてよかったなって思います。