生きていく中で、自分のマインドに大きな影響を受けることってありますよね。
それは先生だったり友人だったり、家族だったり恋人だったり。あるいは本やアニメ、音楽だったり。みなさんは、どんなものによって人生が変わったと思いますか?
私が今の自分になれた最も大きな要因は「本」です。
次いで、「恋人」「友人」となります。
ただ、「本」による影響は即効性があるものではなく、本の教えを自分に落とし込む努力をすることにより、長年かけて自分を変えてきた印象が強いです。一方で、それほど長くない期間でズドンと変えてくれたのは「恋人」でした。今日はそんな「恋人」について、思うままに書こうと思います。
私には結婚したいと考えていた彼女がいました。今も独身ということは上手くいかなかったということなんですが、本当に大好きな彼女でした。その彼女のよさを語る大会があれば、今でも優勝が狙えます。
彼女の一番素敵なところは、素直さでした。人の教えやアドバイスを本当によく聞き、よく笑ってよく泣く子でした。
一方私は自分頼りで批判的視点の持ち主で、アドバイスを受けてもそれが正しいかをまずは疑ってから立場を決める人間です。そんな自分に疑問を抱きませんでしたし、何でも信じてしまう人間よりも上等だと考えていました。
彼女の素直さを近くで見ているうちに、「いいなあ」と思うようになりました。基本的に肯定的な反応をする彼女は、一緒にお話ししていて楽しいしよい気持ちになれるから、自分を大きく見せようと気張る必要もありません。彼女の素直さが私の素直さを引き出してくれていました。
今の私は「穏やか」だとか「誠実」だと評価されることが多いです。
こんな自分になれたのは彼女のおかげです。今でも物事を疑って真贋を探るという姿勢自体は変わりませんが、その疑いの気持ちを心の中で小さく抑えられるようになりました。それは、疑いの気持ち自体が小さくなったのではなく、それまで乏しかった「物事を受け入れる気持ち」が大きくなったのだと思います。カウンター的な性質はそのままでも、物事を受け入れようとする姿勢が強くなったことで目立たなくなりました。人にもより優しくなりました。
彼女とは連絡が取れなくなって7年くらい経ちます。元気に過ごしているかすらわかりません。元気に幸せに過ごしていてほしいなと願っています。
巡り合わせや行動次第では、彼女と別れずに結婚できた世界線もあった気がします。その点は後悔してもしきれないし、結婚できた世界線と比べると今の私が生きてるこの現実は圧倒的に負けています。彼女ほど恋焦がれて愛する人はこの先現れないと感じているので、この現実には一種の諦観が付きまとっています。
愛とか友情は比較するものではないですよね。人それぞれによい部分があり、それは比べられる性質のものではありません。それはわかっています。
私は子どもの頃、友達について、誰が1番で誰が2番で・・・という序列を作っていました。成人してからはそのような視点がかなり薄まりましたが、
「友人の中で誰が一番の親友か、序列を作れ」
と言われれば、できてしまいます。どの友人も大切ですけど、自分にとって「トータルで」1番なのは誰か決めろと言われれば決められます。序列を作ることに益がないからしないだけで、やろうとすればできます。
恋人も同じです。結婚したかった彼女と別れてから別の彼女がいた時期もありましたし、今も気になっている人はいます。結婚したかった彼女、その後の彼女、今気になる人に対する気持ちについてはいわば「種類が違う」とでも言いましょうか。皆「好き」である(あった)ことに嘘偽りはなく、ただ「どのように好きか」という部分が違っているような感じがします。
それ故、普通に生きている時はそれらを比較しようなんて考えません。考えませんけど、序列をつけろと言われればやはりできてしまいます。結婚したかった彼女への愛が最も幸せで温かいものでした。その幸せや温かさは、別の種類の愛で到達するのは不可能だと感じてしまいます。
「『できない』と思いこんだら、できるものもできなくなる」
のが真理なので、今後の愛でも届くかもなあという気持ちは消さずに灯してはいるんですけど、期待はしていない自分がいます。
そんな風に私は、この世界線にいる自分にちょっとした失望と諦めを持っています。だからといって人生を投げやりにはしませんし、人生を楽しいつまらないの2択で評せと言われれば間違いなく「楽しい」と答えます。
カラオケなど、楽しいことをしていれば楽しいし、ご飯も美味しく食べています。ただ1点だけ、さらに圧倒的に楽しい人生になるチャンスを掴めなかったがっかり感があるだけです。
でも、彼女を愛して付き合って感情を共有した時間は確かにあったから、今の自分の中には彼女が生きています。人を肯定したり人に優しくしたりする瞬間、私の心の中にある彼女の心がその選択の後押しをしてくれています。
そういう自分が今いることはとても嬉しく誇らしいです。
この世界線で、私もいつか、誰かの心の中に息づきたいなって思います。
この世界線にいてよかったと感じる日が来るといいなって思います。