レモンスライムのきもち

心を言葉に正しく変換する能力がほしいですね。

レモンスライム

私がレモンスライムというニックネームを使っている理由は、気になっている人がレモンスライムを好きだからです。以下、気になっている人をミレーユさんとでも呼ぶことにします。

 

お互いドラゴンクエストが好きだったので、年始に一緒にドラクエグッズキャラバンに行ってドラクエグッズを諸々買いました。その時に全6種類の立体シリコンモンスターキーホルダーが売っていて、うち1種類がレモンスライムでした。しかし、キーホルダーは箱に入っていて何が当たるかわからない系です。

ミレーユさんは1個買い、私は2個買いました。合計3個買えば42%くらいの確率でレモンスライムを引き当てられます。心もとない確率ですが、こういうのってたくさん買っても当たらない時は当たらないので、たくさん買うよりもビビっときたものを買う作戦でした。

 

買い物後、ご飯を食べるタイミングで中身の確認をしました。

ミレーユさんはただのスライムを当て、私の1個目もただのスライムでした。お揃いはよいけどそうじゃないんだよなあと思いながら、2個目も開けたところ、見事に黄色いやつがいました。

 

「レモンスライム当たったよー」

って見せて、プレゼントしたらとても喜んでもらえました。

 

私は当てたスライムをウエストポーチにつけました。

ミレーユさんはレモンスライムを携帯につけていました。

レモンスライムを眺める様子が本当に嬉しそうに見えて、あげてよかったなとこちらも嬉しくなりました。

 

 

 

話は変わりますが、以前職場の同僚と、

「家族を頼れない病んだ人って、運よくよい彼氏(彼女)と付き合うしかないよね」

みたいな会話をしたことがあります。

病んでしまった時点で、その人にはもはや周囲にいる友人の声が届かない状態になっており、そんな人に声を届かせられるのは恋人しかないという意味です。

 

もちろん、自分で本を読みまくって心の動きを理解するなど、他にも病みから抜け出す方法はあるでしょう。

私も若かりし頃に古本屋さんで目にして「なぜかたまたま」買った心理学の本のおかげで、自分の病んだ心を矯正することができました。心を真っ直ぐにするためにかなり頑張ったと自負しておりますが、「たまたま」本に巡り合わなければ助かっていなかった可能性はあると思います。

 

ちなみに、その本は加藤諦三さんの本です。

「あなたは頑張りすぎたのよ」

などといった言葉を欲しがるうつ病患者にとっては猛毒に感じられる種の本で、実際私も「うぎゃー」とへこみながら一生懸命読んで考えていました。似非の気遣いはいらない!病みから抜け出したい!という気持ちが大きかったので頑張れました。厳しくも大変ありがたい言葉の数々でした。

 

 

閑話休題

病みや地獄から抜け出せるか否かは、本人の素養とともに運も必要だと思います。外部からの刺激で運よく助かるには「よい彼氏(彼女)」が最もよいと私は思います。

私がよい彼氏かどうかは相性次第で如何様にもなることですが、とりあえず自分の経験則から心の整え方は知っています。換言すると「地獄にいる人が助かる方法」です。そして、以前の記事で書いたように、ミレーユさんは今地獄に住んでいます。

 

私は、助けたい一心という聖人君子な心を持っているわけもなく、ミレーユさんが可愛いから好きだとか、これからも一緒に遊びたいという気持ちも持っていました。付き合うことになれば、打算的な表現を使うとWIN-WINだと感じていました。

 

だから、以前の記事に書いた通りやんわりと告白して、やんわりと振られました。そのため、今は地蔵ムーブ(=動けない)です。

 

この書き方だと、打算的な気持ちが振られた原因のように見えてしまいますね。

おそらくそうではないのですが、文では「打算」や「自分ならできるという自惚れ」が失敗につながった小さくない要素のように読めると感じます。表現って難しいですね。

 

 

「恋焦がれている」わけではない「気になっている人」だから、さほど苦もなく地蔵ムーブができてしまいます。ミレーユさんには助かってほしいけど、最低限自分のできることはやったしなあという気持ちもあります。

 

自分のあずかり知らぬところでは、究極的には運があるかないかという話になってしまうんですけど、やっぱり運があったという結末を望みたくなるものです。

「レモンスライムのキーホルダーがミレーユさんを守ってくれるといいな」

なんて考えてしまいます。